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オシャレは我慢は自分のせい|ファッション独り言

MONOLOGUE|003

オシャレに我慢は必要か

「オシャレは我慢」

最近は非常に廃れてきた感のあるオシャレ格言。現代ではたぶん否定的な意見が多いかなと思いますし、昨今のビッグシルエットの定着ぶりからも、かなりほど遠い感覚になっているのではないでしょうか。

私自身は、ファッション自体がオタク的に好きなのでオシャレをすることで「我慢」をするという感覚があまりないです。

他者から見ると「我慢」に見えることも私自身は苦痛な「我慢」に感じていないというのが正しいかもしれません。

「我慢=苦痛」であるならば、オシャレをすること自体より、オシャレな服を綺麗な状態に保つことが私にとって一番の「オシャレは我慢」に当てはまるかもしれません。

ただ、敢えて「オシャレは我慢」を擁護するならば、我慢してまでも得られるモノが多いというのも事実ではないでしょうか。

我慢して得られるもの

気候変動や世の中の流れなど、きっちりとスーツを着る機会が非常に減っているかと思います。

ただ、久しぶりにネクタイを締め、スーツを着るとどこか気持ちがちゃんとするような感覚になったりしませんか。もちろん窮屈ではあるんですけど、背筋が伸びるような感じです。

また、オシャレであることが周りに認識されることで、実際には見えないところでもセンスがあるのではないかと想像させるというメリットもあります。

例えば「ファッションがオシャレ」だから「部屋のインテリアもオシャレ」というように思われたりするわけです。

さらに現代で「オシャレ」と「不潔」は、よほどキャラクターが立っていない限り基本的に両立しないので、一定の清潔感という印象も与えられるでしょう。

例えばダメージデニムで砕けたスタイルであっても、オシャレな印象を一番に与えているならば、それは不潔と判断されていない証拠です。

逆にどんなにきれい目なオシャレをしていても「汚い」という印象が先に来ている場合は、ただ「汚い人」と思われるだけでオシャレが成立していません。

様々なファッションスタイルが混在する現代では必ずしも「ダメージジーンズ」と「不潔」はイコールにならないからです。

※「不潔」と「だらしない格好」もイコールではありません。

我慢せずにオシャレ

本来「我慢」せずにオシャレができるのが一番です。ファッションの大きな流れも「我慢」せずにオシャレになる方向で動いていると言って良いでしょう。

そもそも「オシャレは我慢」の「我慢」は大抵の場合、体型による服のサイジングや靴のフィッティング、気候に対してのバランスを指しますよね。キツイや痛い、暑いや寒いなど。

ただ、根本的には「我慢」に関係なく、似合う/似合わないはどうしても出てきてしまう。表現したいファッションがあるとして「我慢」せず似合えばそれが一番。

難しくさせるのは、何かしら「我慢」しないと表現したいファッションができない場合。

「似合わない」を「我慢」で「似合う」に合わせていくか、もしくは「我慢」せず「似合うもの」で違う表現のファッションとして妥協していくか、です。

「我慢」せずに表現できる人もいるわけですから。

結局、オシャレをするのに我慢が必要な場合って、理想とする洋服やシルエットと自分のスタイルが大きく乖離している場合がほとんどなので、そこでの我慢は「オシャレは我慢」ではなく、単純に自分のせいで「我慢」ではないかと思うファッション独り言でした。